みくまり - JR吹田駅前つながりプロジェクト › イベントレポート › 9/2(土) 庄屋屋敷で哲学カフェと、夜の百物語
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2017年09月04日
9/2(土) 庄屋屋敷で哲学カフェと、夜の百物語
8月のイベントで、“みんなで河原で花火” まで至らなかったので、時期は遅いですが、夜には花火もしました。
浜屋敷は、庄屋屋敷をそのまま利用した貸室です。大きなお屋敷の広い畳の部屋があります。
午後と夜間を借り、午後は、先月からはじまった「こども哲学カフェ」の第二回。
哲学カフェは、通常は、2時間程度ですが、今回は、途中参加があったり、時間も場所も、ゆったり使えるのもあって、なんと!3時間半近くに及びました。
こんなに長い間、子どもの集中力が続くのか。。。と思いましたが、子どもたち、結構楽しんでいた模様です。後で、子どもたちに聞くと、疲れたというものの、決して「もうやりたくない」とは言わず、「でも、面白かった」と言うのです。
哲学カフェとは、何が正しいと言う答えがないテーマについて、それぞれ、自分がどう思っているのか、感じるのかを述べ合い、「そうなんですね。あなたはそういう考えなんだ」と全て受け止め合う場とも言えます。
正直なところ、先生は、独身の若い男の方なので、ギャングエイジと呼ばれる世代の男子の複数の集まりを制御できるのだろうか。。。。と母たちは、ちょっと心配してました。
それがまぁ、子どもたち、ものすごく、先生の言うことを素直に聞くわ、集まれと言われれば、サッと集まるわで、それはもう、ピシッ!と動くのです。
例えが悪いと叱られましたが(笑)、あたかも、犬の調教師のよう。 調教師が指示すると、犬たちが、ピシッと素直に従うような風景と重なりました。
母たちが、「ちゃんと聞いて~!」と招集かけても、なかなか注目しないのに、先生が言うと、一瞬で、ピシッと注目する。もしかしたら、小学校の担任の先生よりもスゴイかもしんないw
みくまりは、子どもたちが自分で考えて、自分たちで決めます。晩御飯に、何が食べたいか決めて、それぞれ買い出しに。
大テーブルを囲んで、大人も子どもも一緒にごはん。
大テーブルで、みんなで一緒に食べると、子どもたちも、大人の会話を聞いて、何かしら学んでいるようにも感じられました。たぶん、大人同士の関係性や、接し方もちゃんと見ていて、そういう会話には、どうツッコんだらいいのか(笑)、どう答えたらいいのか等も、自然と子どもたちも学んでいるんだろうなぁと感じました。
ごはんを食べたら、近くの河原で、みんなで花火!
私たちの世代は、夏休みに、おばあちゃんちに帰ると、いとこもいっぱい帰ってきていて、夜は一緒に花火をしたりしたものですが、今は、子どもが少なくなって、子どもたちが複数で夜、何かするという機会がなくなってしまいました。
夜、子どもたちで何かするって、いつもと違う特別感があって、ワクワクしませんでしたか?
みくまりに集まる子どもたちは、親族関係ではありませんが、バーチャルで、「夏休みに、おばあちゃんちにいとこがみんな帰ってきて、みんなで遊んだ」と体験できればと思っています。
夜は、再び、お部屋に戻り、電気を消して、1人ずつ、コワイ話か不思議な話をする「百物語」簡易版(笑)をしました。
昔は、夏と言えば、こういうコワイ話で、子どもで盛り上がったものですが、どうやら、今の子どもはそういうのがないようですね。
作り話でも、なんでもOKだったのですが、話せない子どもがほとんど。 ネタのない子どもは、気の利くスタッフが図書館から借りてきてくれた学校の怪談本や、コワイ話のどれかを雰囲気を出して読みました。
時間が経つにつれ、子どもたちも乗ってきました。
昼間と違って、夜は、なんだか、テンションあがりません? 大人も子どもも。 子どもたちは、どんどんテンションあがって、はしゃぎだす = 声も大きくなってきて、ウルサイ(笑) となりました。
夜の九時半くらいに会場を撤収しました。
その夜、子どもたちは、超ご機嫌でした。
反抗期ド真ん中のうちの息子は、常に私へのモードは“戦闘態勢”(笑)。意地とイチャモンを売りつけてくるのが日常なのですが、この夜は、帰宅してから、妙に素直だし、優しかった。
同じような反抗期ど真ん中という他の子も、その子のお母さんによると、「ものすごく甘えん坊になった」と言っていました。
もしかしたら、百物語が怖かったのかもしれませんが(笑)、本当は、そのまま、おばさんちに泊まりに行く予定で、その夜は自宅に帰ってこない予定のその子が、1人で夜道を帰ってきたと言います。 そのおばさんちの、いとこの息子さんが迎えに来てくれたので、そのまま一緒に、おばさんちに行くだけだったのに。
毎週必ず、お泊りに行ってるそうなので、帰ってきた息子に、お母さんもビックリされてました。
もしかしたら、その子も、超ご機嫌ゆえ、素直だったから、お母さんに甘えられたんじゃないかなと思いました。
反抗期の子どもを見ていると、“なんかモヤモヤするけど、その原因や理由が分からない” というイライラを、最も安心できる相手 - 母親 - に八つ当たりで、ぶつけてきてるような気がします。
親にしたら、「そういうモヤモヤは、その都度適切にその場で発散してください!無関係な私に八つ当たりしないでください!」と言いたいが、本人も、分からないんだから、仕方ない。
でも、この日は、哲学カフェで、何を言っても、どんな考えを言っても、間違っているとも言われないし、全て受け入れてもらえる という時間で、大満足したのでしょう。 だから、超ご機嫌で、ご満足だったのだと思うのです。
だからこそ、先生への信頼が大きくて、嬉しくて、先生の言うことを、即座に、素直に聞けたのではないのかと思うのです(母がいくら言ってもダメなのにw)。
そういう姿勢で、話を聞いてもらうというのは、こんなにも、人にパワーを与えるのですね。
こども哲学カフェをはじめたのは、子どもたちを見ていて、子どもたちから、“正しい答えを言わないといけない”というプレッシャーから、間違ったことを自分が言うかもしれないという恐れから、何も言えずに、黙り込んでしまう”という雰囲気を感じたからです。
実際、子どもたちが行くところ - 学校や習い事など - では、“正しい答え” が必ずあって、それを“正しく”答えないと、叱られる場ばかりなわけで。。。
それは、子どもだけでなく、大人の世界でも同じです。
今、大人になってる、かつての子どもたちも、きっと、そんな体験や経験がなかった人が多いのかもしれない。自分が経験してないことは、出来ないですからね。
“正しい答え、相手が望む答えしか言っちゃいけない” と刷り込まれている人も、どんなに多いか。。。。
「すごいねぇ、何言っても、受け入れられる、聞いてもらえるということが、そんなにも、子どもは嬉しいんだ」と、前述のお母さんとチャットしていたら、「私がいかにしてあげてないか反省した。気を付けよう」と言いました。
ここからは、私の個人的な考えですが、親は、子どもを“しつけ”る役目があるから、そういうのは、他の人に任せて、あんまり気にしなくていいんじゃないかな。
“しつけ” とは、縫物をする時の「しつけ糸」と同じ意味だそうです。
本縫いをする前に、ざっくりと、しつけ糸で、縫っておくと、本縫いする時に、楽だし、しやすい。
しつけを、本縫いと同じレベルで縫ってしまったら、本縫いする時に、ギチギチで、やりにくいし、うまくいかない。逆に、“本縫いと同じレベルで縫うなら、しつけ糸で縫う必要ないじゃん!!” となるだけで、しつけの意味がない。
親が子どもにする「しつけ」も同じ。
ざっくりと、方向を導く。 この世界とこの社会を生きていくための指針を、子どもに与える。
まるっきり何もないと、不安になりますよね。 全く何もなくて、指針も、目印もなければ、子どもが不安になるだけです。
ざっくりと、マイルストーン(道路に1マイルごとに置かれている標石)が置かれていれば、迷っても、それを目印に、とりあえず、進むことができます。
だから、親は、子どもにマイルストーンを示す。
“色んな考えもあるけど、私があなたに示すマイルストーンはこれだ。
これが、正しいかどうか、いいのかどうかも、私には分からないけれど、とりあえず、これで私はこれまで無事に生き延びられてきたから、このマイルストーンは、安全だし、確実なのは確かだから。
自分に合ったマイルストーンが見つかるまでは、道に迷わぬように、私のマイルストーンを目印に、進んでいきなさい。自分のマイルストーンが見つかった時、いつでも私のマイルストーンは捨てなさい。”
という役割なんじゃないかと思います。
哲学カフェとは、違う役割。 ある意味、強制的に押し付ける役割(笑)。
だから、憎まれ役を買って出て、あえて、「なんでもいいよ~」なんて言わない立場を貫いてもいいんじゃないかしら。
こども哲学カフェは、こんな思いでしております↓ 10月は、JR吹田駅からすぐのファミマのイートスペースです。
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みくまり「こども哲学カフェ」
at ファミマ・栄えるカフェ内
毎月第一土曜日 9時半~11時半
参加費 300円
正しい答えはありません。必要なのは、自己表現と、他者を尊重する力。大切なのは、自分の考えを伝えられること。自分と違う意見も尊重できること。
どうやら、子どもたちは“正しい意見を言わないといけない”と思い込んでいるようです。もしかしたら、大人もそうかもしれません。だから、自分の思うままを素直に言葉にして話す、伝えることを恐れて、何を話していいか分からず沈黙する。
みくまり「こども哲学カフェ」では、そんな子どもたちに、どんな思いも意見も尊重して、安心して意見を述べ合う経験と体験を積んでもらうことを目指しています。
普段の生活では、考えたことのないようなこと(例えば哲学的なこと)をテーマにし、どんな思いと意見を持っているか語り合います。
言葉での表現が下手くそで、だんまりがちのお子さんでも大丈夫!哲学研究者 藤野 幸彦氏の絶妙のリードで、言葉を導き出します。
藤野氏によれば、欧米では、10歳前後から、そのようなクラスを学校のカリキュラムとして学び始めます。これからの時代、日本の子どもたちにも、ぜひ必要だと、ひしひし感じておられるとのことです。
安心して心を開けるオープンな議論の場を、子どもたちに、ぜひ味わい、身に着けてほしいという願いのもとに。
開催場所や時間が変更になる場合もございますので、お越しになる際には、事前にお知らせください。 みくまりまで mikumari@runrunwaiwai.net
浜屋敷は、庄屋屋敷をそのまま利用した貸室です。大きなお屋敷の広い畳の部屋があります。
午後と夜間を借り、午後は、先月からはじまった「こども哲学カフェ」の第二回。
哲学カフェは、通常は、2時間程度ですが、今回は、途中参加があったり、時間も場所も、ゆったり使えるのもあって、なんと!3時間半近くに及びました。
こんなに長い間、子どもの集中力が続くのか。。。と思いましたが、子どもたち、結構楽しんでいた模様です。後で、子どもたちに聞くと、疲れたというものの、決して「もうやりたくない」とは言わず、「でも、面白かった」と言うのです。
哲学カフェとは、何が正しいと言う答えがないテーマについて、それぞれ、自分がどう思っているのか、感じるのかを述べ合い、「そうなんですね。あなたはそういう考えなんだ」と全て受け止め合う場とも言えます。
正直なところ、先生は、独身の若い男の方なので、ギャングエイジと呼ばれる世代の男子の複数の集まりを制御できるのだろうか。。。。と母たちは、ちょっと心配してました。
それがまぁ、子どもたち、ものすごく、先生の言うことを素直に聞くわ、集まれと言われれば、サッと集まるわで、それはもう、ピシッ!と動くのです。
例えが悪いと叱られましたが(笑)、あたかも、犬の調教師のよう。 調教師が指示すると、犬たちが、ピシッと素直に従うような風景と重なりました。
母たちが、「ちゃんと聞いて~!」と招集かけても、なかなか注目しないのに、先生が言うと、一瞬で、ピシッと注目する。もしかしたら、小学校の担任の先生よりもスゴイかもしんないw
みくまりは、子どもたちが自分で考えて、自分たちで決めます。晩御飯に、何が食べたいか決めて、それぞれ買い出しに。
大テーブルを囲んで、大人も子どもも一緒にごはん。
大テーブルで、みんなで一緒に食べると、子どもたちも、大人の会話を聞いて、何かしら学んでいるようにも感じられました。たぶん、大人同士の関係性や、接し方もちゃんと見ていて、そういう会話には、どうツッコんだらいいのか(笑)、どう答えたらいいのか等も、自然と子どもたちも学んでいるんだろうなぁと感じました。
ごはんを食べたら、近くの河原で、みんなで花火!
私たちの世代は、夏休みに、おばあちゃんちに帰ると、いとこもいっぱい帰ってきていて、夜は一緒に花火をしたりしたものですが、今は、子どもが少なくなって、子どもたちが複数で夜、何かするという機会がなくなってしまいました。
夜、子どもたちで何かするって、いつもと違う特別感があって、ワクワクしませんでしたか?
みくまりに集まる子どもたちは、親族関係ではありませんが、バーチャルで、「夏休みに、おばあちゃんちにいとこがみんな帰ってきて、みんなで遊んだ」と体験できればと思っています。
夜は、再び、お部屋に戻り、電気を消して、1人ずつ、コワイ話か不思議な話をする「百物語」簡易版(笑)をしました。
昔は、夏と言えば、こういうコワイ話で、子どもで盛り上がったものですが、どうやら、今の子どもはそういうのがないようですね。
作り話でも、なんでもOKだったのですが、話せない子どもがほとんど。 ネタのない子どもは、気の利くスタッフが図書館から借りてきてくれた学校の怪談本や、コワイ話のどれかを雰囲気を出して読みました。
時間が経つにつれ、子どもたちも乗ってきました。
昼間と違って、夜は、なんだか、テンションあがりません? 大人も子どもも。 子どもたちは、どんどんテンションあがって、はしゃぎだす = 声も大きくなってきて、ウルサイ(笑) となりました。
夜の九時半くらいに会場を撤収しました。
その夜、子どもたちは、超ご機嫌でした。
反抗期ド真ん中のうちの息子は、常に私へのモードは“戦闘態勢”(笑)。意地とイチャモンを売りつけてくるのが日常なのですが、この夜は、帰宅してから、妙に素直だし、優しかった。
同じような反抗期ど真ん中という他の子も、その子のお母さんによると、「ものすごく甘えん坊になった」と言っていました。
もしかしたら、百物語が怖かったのかもしれませんが(笑)、本当は、そのまま、おばさんちに泊まりに行く予定で、その夜は自宅に帰ってこない予定のその子が、1人で夜道を帰ってきたと言います。 そのおばさんちの、いとこの息子さんが迎えに来てくれたので、そのまま一緒に、おばさんちに行くだけだったのに。
毎週必ず、お泊りに行ってるそうなので、帰ってきた息子に、お母さんもビックリされてました。
もしかしたら、その子も、超ご機嫌ゆえ、素直だったから、お母さんに甘えられたんじゃないかなと思いました。
反抗期の子どもを見ていると、“なんかモヤモヤするけど、その原因や理由が分からない” というイライラを、最も安心できる相手 - 母親 - に八つ当たりで、ぶつけてきてるような気がします。
親にしたら、「そういうモヤモヤは、その都度適切にその場で発散してください!無関係な私に八つ当たりしないでください!」と言いたいが、本人も、分からないんだから、仕方ない。
でも、この日は、哲学カフェで、何を言っても、どんな考えを言っても、間違っているとも言われないし、全て受け入れてもらえる という時間で、大満足したのでしょう。 だから、超ご機嫌で、ご満足だったのだと思うのです。
だからこそ、先生への信頼が大きくて、嬉しくて、先生の言うことを、即座に、素直に聞けたのではないのかと思うのです(母がいくら言ってもダメなのにw)。
そういう姿勢で、話を聞いてもらうというのは、こんなにも、人にパワーを与えるのですね。
こども哲学カフェをはじめたのは、子どもたちを見ていて、子どもたちから、“正しい答えを言わないといけない”というプレッシャーから、間違ったことを自分が言うかもしれないという恐れから、何も言えずに、黙り込んでしまう”という雰囲気を感じたからです。
実際、子どもたちが行くところ - 学校や習い事など - では、“正しい答え” が必ずあって、それを“正しく”答えないと、叱られる場ばかりなわけで。。。
それは、子どもだけでなく、大人の世界でも同じです。
今、大人になってる、かつての子どもたちも、きっと、そんな体験や経験がなかった人が多いのかもしれない。自分が経験してないことは、出来ないですからね。
“正しい答え、相手が望む答えしか言っちゃいけない” と刷り込まれている人も、どんなに多いか。。。。
「すごいねぇ、何言っても、受け入れられる、聞いてもらえるということが、そんなにも、子どもは嬉しいんだ」と、前述のお母さんとチャットしていたら、「私がいかにしてあげてないか反省した。気を付けよう」と言いました。
ここからは、私の個人的な考えですが、親は、子どもを“しつけ”る役目があるから、そういうのは、他の人に任せて、あんまり気にしなくていいんじゃないかな。
“しつけ” とは、縫物をする時の「しつけ糸」と同じ意味だそうです。
本縫いをする前に、ざっくりと、しつけ糸で、縫っておくと、本縫いする時に、楽だし、しやすい。
しつけを、本縫いと同じレベルで縫ってしまったら、本縫いする時に、ギチギチで、やりにくいし、うまくいかない。逆に、“本縫いと同じレベルで縫うなら、しつけ糸で縫う必要ないじゃん!!” となるだけで、しつけの意味がない。
親が子どもにする「しつけ」も同じ。
ざっくりと、方向を導く。 この世界とこの社会を生きていくための指針を、子どもに与える。
まるっきり何もないと、不安になりますよね。 全く何もなくて、指針も、目印もなければ、子どもが不安になるだけです。
ざっくりと、マイルストーン(道路に1マイルごとに置かれている標石)が置かれていれば、迷っても、それを目印に、とりあえず、進むことができます。
だから、親は、子どもにマイルストーンを示す。
“色んな考えもあるけど、私があなたに示すマイルストーンはこれだ。
これが、正しいかどうか、いいのかどうかも、私には分からないけれど、とりあえず、これで私はこれまで無事に生き延びられてきたから、このマイルストーンは、安全だし、確実なのは確かだから。
自分に合ったマイルストーンが見つかるまでは、道に迷わぬように、私のマイルストーンを目印に、進んでいきなさい。自分のマイルストーンが見つかった時、いつでも私のマイルストーンは捨てなさい。”
という役割なんじゃないかと思います。
哲学カフェとは、違う役割。 ある意味、強制的に押し付ける役割(笑)。
だから、憎まれ役を買って出て、あえて、「なんでもいいよ~」なんて言わない立場を貫いてもいいんじゃないかしら。
こども哲学カフェは、こんな思いでしております↓ 10月は、JR吹田駅からすぐのファミマのイートスペースです。
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みくまり「こども哲学カフェ」
at ファミマ・栄えるカフェ内
毎月第一土曜日 9時半~11時半
参加費 300円
正しい答えはありません。必要なのは、自己表現と、他者を尊重する力。大切なのは、自分の考えを伝えられること。自分と違う意見も尊重できること。
どうやら、子どもたちは“正しい意見を言わないといけない”と思い込んでいるようです。もしかしたら、大人もそうかもしれません。だから、自分の思うままを素直に言葉にして話す、伝えることを恐れて、何を話していいか分からず沈黙する。
みくまり「こども哲学カフェ」では、そんな子どもたちに、どんな思いも意見も尊重して、安心して意見を述べ合う経験と体験を積んでもらうことを目指しています。
普段の生活では、考えたことのないようなこと(例えば哲学的なこと)をテーマにし、どんな思いと意見を持っているか語り合います。
言葉での表現が下手くそで、だんまりがちのお子さんでも大丈夫!哲学研究者 藤野 幸彦氏の絶妙のリードで、言葉を導き出します。
藤野氏によれば、欧米では、10歳前後から、そのようなクラスを学校のカリキュラムとして学び始めます。これからの時代、日本の子どもたちにも、ぜひ必要だと、ひしひし感じておられるとのことです。
安心して心を開けるオープンな議論の場を、子どもたちに、ぜひ味わい、身に着けてほしいという願いのもとに。
開催場所や時間が変更になる場合もございますので、お越しになる際には、事前にお知らせください。 みくまりまで mikumari@runrunwaiwai.net
Posted by みくまり at 18:07
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